たまには重たい話なぞ一つ。
よく、重大犯罪などが起きると、注目される事の一つに”犯人の精神状態”があります。
つまり、「責任能力を問えるか問えないか」。
僕はニュースでこの話を聞くたびに疑問に思うのです。
どうして犯罪者が精神的に普通でなかった場合、刑が違ってくるのか?
「犯罪を犯す事の重大性を理解できてない者がやってしまったんだから、健常者と同じ刑を科すのはかわいそう」といった観点から、そうなっているのだと思います。
しかし、殺人を例にとって考えますと、被害者からすれば、加害者が健常者であろうとなかろうと”殺された”という事実は変わらないわけで、怒りや悲しみの量は同じです。
だから、被害者が受けた苦しみを基準にして刑を科すべきなのに、加害者の状態を基準にして刑を科しているから、疑問に感じるのです。
そもそも日本の刑法は常に被害者ではなく加害者のほうを見て作られているような気がします。
もしかしたら日本の刑法は「”犯罪に対して罰を与える”ために存在する」というよりは「”犯罪を抑止する”ために存在する」という面が強く出すぎているのかもしれません。
また、「この世の中、誰もが加害者になりうる」という思いが刑法をそうさせてしまっているのかもかもしれません。
あと、よくこの件に関して「人権」という言葉を耳にしますが、個人的には”犯罪”という人の道を外れてしまった者に対して「人権」を強く考慮するのはいかがなものか、とは思います。
いえね、何で急にこういう話をしたのかといいますと、近所にいるんですよ。時々騒ぎを起こしては病院に収容されてる人が。
もし、何かの間違いで自分がその人に殺されてしまった時、「責任能力を問えない」ってなってしまったら、ホントに悔しくて死んでも死にきれないなあ、と思いまして、書いたわけです。奈良の例の事件とは特に関係ないです。あの犯人は問えるでしょ、「責任能力」。